人生の主役はあなた?それとも病気や症状?-カイロプラクティック哲学入門Vo.6-

健康がある。病気がある。どちらがしっくりきますか?
現代の多くの人たちは、病気の方を実在するものとして扱っています。
・名前がついている。
・検査で結果が出る。
・数字で測定する。
だから、病気があると感じられる。
私たちは生きている中で、テレビや新聞。教育や親子での会話など、あらゆる場面で
「病気がある」と潜在的に意識するようになっています。
一方で健康は、何もない状態のように扱われています。
病気がない状態=健康である、という少し消極的な定義であることが多いです。
学校の教科書でも同じような捉え方をしていますし、WHOの定義さえも同様です。
果たして、本当に病気がないことが健康なのでしょうか?
健康に目が向かないのは、いつもうまくいっているから
健康とは、すべての器官が正常に機能している状態のことです。
正常に働いているとき、それは注目されません。
胃がきちんと働いている日に、胃の働きは今日も絶好調だなと考える人はそうそういません。
呼吸ができている間、呼吸を意識する人はいません。
注目されるのは、正常な機能が失われたときだけです。いわゆる病気や症状が強く出ているときだけ、
それに対して大きな注目が集まるのです。
目立たないから、存在しないということでは一切ないのです。 むしろうまくいっている証拠だとも言えます。
健康が失われたときの行動に全て出る
もし健康が実在しないものなら、失っても何も起きないはずです。
でも実際には、何かがおかしくなった瞬間、人は動きます。
調べる。休む。誰かに相談する。元に戻そうとする。
そこにあったものが減ったから、そういう行動が出ます。
失われたときに人が取り戻そうとするもの。
それは、最初から実在していた健康そのものです。
生命とは、実在する健康のこと
科学は、生きているか死んでいるかをはっきり判断できます。
しかし、健康の量を測る目盛りは持っていません。
血圧も血糖も、正常から外れた度合いを見るものになってしまっています。
健康そのものの値ではありません。
カイロプラクティックの哲学は、生命そのものが実在する健康だと考えます。
生きているということは、それ自体がすでに健康であり働いている証拠になる。
私たちが背骨を通して見ているのは、その働きがどれだけ表現されているかです。
見方を変えると、日常が変わる
病気を実在するものとして生きると、毎日が監視になり、病気に怯える人生を送ることになります。
異常を探し、見つけたら対処する。
健康を実在するものとして生きると、毎日が確認となり、健康に意欲的な人生を送ることができるようになります。
同じ体を見ていても、視点が全く違うのです。
あなたは、健康を「何もない状態」だと思っていませんか。
そうではありません。 今この瞬間もあなたの中で働き続けている、実在するものです。
私はそれを、消えかけたときに探す対象ではなく、いつもある前提として扱いたいと考えています。
その前提で患者さんと話ができると、世界はいつも以上に明るく見えるかもしれません。
