トムソン・テクニックとの出会い
私がはじめてDr.クレイ・トムソンに出会ったのは1973年。当時の私はベネズエラでの1年間の臨床を終えて、日本に帰る途中に母校であるパーマー大学へ立ち寄ることにしました。その時に卒後教育としてトムソン・テクニックが行われていることを聞き、私は早速受講することにしました。
私がパーマー大学で学生として学んでいるときは、ガンステッド・テクニックを専門で勉強しており、また当時のパーマー大学のカリキュラムにトムソン・テクニックは入っていなかったので、卒後教育のセミナーでしか学ぶことができませんでした。当時は、わずか20名くらいの少人数であったが、Dr.クレイ・トムソンは一人一人に丁寧に指導してくれたことを今でも鮮明に覚えています。
その後、私は多くの時間をDr.クレイ・トムソンと共に過ごす幸運に恵まれ、そしてDr.クレイ・トムソンの話を通して、BJ.パーマーに触れることができました。ある時、私はDr.クレイ・トムソンとセミナーの帰りにシカゴの空港でモーリン行きの飛行機を待っていたが、大雪のために欠航になってしまった。そのために航空会社が用意した近くのホテルで一泊することになった。私達は同室になり、二人でターグル・リコイルのスピードを競い合ったこともありました。
その後、何度もDr.クレイ・トムソンを日本に招き、日本でトムソン・テクニックの普及に努めてきました。