本当に優れた治療家ほど、前に出ない ― 主役を譲ったとき、ケアは完成する ―

治療家として経験を積むほど、技術も増え、知識も深まり、結果も出せるようになります。
すると、いつの間にか
「自分が導かなければ」
「自分が判断しなければ」
そんな思いが強くなっていきます。
それ自体は、責任感の表れでもあります。しかし同時に、治療家が無意識のうちに前に出すぎてしまう瞬間でもあります。

治療家が前に立つほど、体は黙ってしまう
臨床の現場で、こんな経験はないでしょうか。
・説明すればするほど、反応が鈍くなる
・介入を増やすほど、変化が浅くなる
・患者様が「考えなく」なっていく
これは偶然ではありません。
治療家が前に出すぎると、体は“任せる側”になり、本来の主体性を発揮しにくくなります。
体は、信頼されているときほど、正しく反応するという性質を持っています。
本物の信頼は「引くこと」から生まれる
信頼とは、強く導くことではありません。
「あなたの体には、ちゃんと治る力が備わっています」
「私は、その素晴らしい力を信じています」
このメッセージが、言葉以上に態度として伝わったとき、体は安心し、反応を始めます。
優れた治療家ほど、
・説明しすぎない
・決めつけない
・コントロールしようとしない
それは怠慢ではなく、体への深い敬意です。

前に出ない治療家は、何もしないわけではない
誤解してはいけません。前に出ない治療家とは、何もしない人ではありません。
むしろその逆です。
・体の変化を誰よりも観察している
・小さな反応を見逃さない
・介入の「量」と「質」を厳密に選んでいる
だからこそ、必要なときに、最小限で最大の関わりができるのです。
治療家の成熟は「足すこと」ではなく「引くこと」
若い頃の治療家は、学べば学ぶほど、やれることを増やそうとします。
しかし、成熟した治療家は違います。
・何をしないか
・どこまで関わらないか
・どこで委ねるか
これを知っています。
治療の質は、やったことの数ではなく、やらなかった選択の質で決まります。

主役を譲ったとき、ケアは完成する
治療の主役は、治療家ではありません。常に、体そのものです。
治療家が一歩引き、体が一歩前に出たとき、「作業」から「ケア」へと変わります。
その瞬間に立ち会えることこそ、治療家という仕事の、何よりの喜びなのかもしれません。
治療家としての本質を、どこで学ぶのか
シオカワスクールでは、「前に出ない勇気」を、感覚ではなく理論と臨床で学びます。
・なぜ引いた方が反応が出るのか
・どこまで関わり、どこで譲るのか
・治療家の存在に依存しない条件とは何か
それらを、哲学・科学・臨床を通して体得していきます。
もしあなたが、
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技術を重ねるほど違和感が増えてきた
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もっと深い臨床をしたいと感じている
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治療家として成熟した在り方を学びたい
そう思っているなら、一度、シオカワスクールのセミナーを体験してみてください。
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