素晴らしきDr.ミツ シオカワのカイロプラクティック人生 vol.14

12/16

私が購入した他のマンションでウイスカンソンのスキー場の近くにあるところはわずか500万円ぐらいであったがここもローンつきで行かない時はホテルとして運用していた。数年後に友人のジエミーが私から購入した。ジエミーは私がキャッシーという高校1年生の女の子とデートしていたときに私のおんぼろ車が交差点で止まってしまったときに、呼んでくれた彼女のボーイフレンドの一人であったが私と気が合い彼の家族を紹介してくれた。ジエミーは高校生であったがお父さんは建築会社の社長をしていた。卒業した後に私がデブンポートを訪れると必ず運転手になってくれた。このウイスカンソンのマンションもジエミーと一緒に見に行ったので彼も気に入っていたので私が処分したいといったら買ってくれたわけである。

とにかくジエミーは私の学生時代から子分見たいに接してくれた。この街で知り合った若者の中に私のロックアイランドでの柔道の生徒にマイクデイメイがいた。彼も後に私の友人になった一人であるがガールフレンドのシャミアンを良くつれてきていたので私に紹介してくれた。シャミアンは音楽一家で3人の女の子でナイトクラブで歌を歌っていた。シャミアンは妹のチェリーを紹介してくれたがもうすでにチェリーは結婚していた。とても美人でとても魅力的な女性であった。私が、アメリカで結婚式を挙げたときにチェリーと私の妻との間に少し不穏な感じになったときもあったが、3人の歌手たちは私がアメリカに行くたびによくしてくれた。

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素晴らしきDr.ミツ シオカワのカイロプラクティック人生 vol.13

12/08

アトランタを南に下っていくとフロリダがある。マイアミにはよく行った。ここには南米からのスパニッシュが多く住んでいた。キューバからの移民も多く住んでいた。私はベネズエラに行く途中ここマイアミから出発したが陽気なスペイン人は飛行機の中でギターを引いたり歌ったりして騒いでいたが搭乗者は何も文句を言わず一緒に楽しんでいた。

私は、ライフカイロプラクティック大学の副学長であったデーディーハンバーの兄でDr.シッドウイリアムスの主治医であったティーオーハンバーと仲良くなり彼の別荘があるデスティンの街がとても気に入った。プライベートビーチがある豪華なマンションが売りに出ていたのでだめもとでローンを申請した。すると、銀行からローンの許可の知らせが来た。話によると使用しないときはホテルとして貸すと毎月のローン代がうくそうである。私は早速一室を買うことにした。しかし私がこのマンションに家族と泊まったのは一回だけで数年後にこのマンションを売った。毎月の返済はお客からのホテル代でまかなったのでとても助かった。

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素晴らしきDr.ミツ シオカワのカイロプラクティック人生 vol.12

12/01

あるとき、ライフ大学の学長を長年勤めフロリダで隠居生活をしていたDr.シッドウイリアムスに電話をしてわざわざサラソタまで来てもらったときもあった。私はDr.クレイトムソンを介して多くの有名なカイロプラクターに出会ったが中でもDr.シッドウイリアムスやDr.エヤーハートは私を大事にしてくれた。私がアトランタに行くときには飛行場に運転手の服装をしてロールスロイスで迎えに来てくれた。とてもユーモアのあるカイロプラクターであった。二人とも再婚同士であったが二台のエクスカリバーでよくドライブしていた。私も運転したことがあるがアンティーク車を再現した名車である。Dr.エヤーハートはウイスカンソンで開業していたが暖かいアトランタに移り全米でレントゲン診断学を講演していた。週末だけ講演してウイークデイは二人で好きなことをして人生を楽しんでいた。講演会には全米から約200人以上のカイロプラクターが出席した。

私がアトランタを訪れたもう一つの理由はここにアトラスオーソゴナルの創始者であるDr.ロイスエットが開業していたからである。私はこのテクニックをマスターしたくなり毎年アトランタに通った。アトランタは映画(風と共に去りぬ)の撮影現場になったところである。アメリカでも南部に位置してたくさんの黒人がアフリカから連れてこられたために多くの黒人を目にする。学生時代にたくさんの黒人の学生と友達になったがとても心ある優しい人が多かった。初めて聞く南部の英語はとても聞きずらかったがとても親しみのある英語だった。朝食も北部と違っていたが私にはあっていた。

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塩川満章
「治る力」を引き出す 正統カイロプラクティック